3/11に思う

あの大震災から今日で4年がたちました。


あの日、私は近くにある銀行の支店の窓口で、呼び出しを待っていました。
そこへ襲ってきた経験のない揺れ・・・・・ 初めは周りの様子をみていましたが、
これは・・・・・もしかして・・・・まずい! 周りの人も席を立ち、どうしてよいのかわからずに
ロビーをウロウロ。 
さすがに銀行員はそのまま仕事を続けているようでしたが、お客の方はそれどころではない、
ロビーに太い柱があったので、出口のすぐそばのその柱に寄りそい、
外に出たら、危ないよね? でもこのビルが崩れたら・・・いや、そんな簡単に崩れる訳はない、はず。。
もしかして、私、ここで死ぬのかな?


少し余震も収まってきたので、とりあえず期日の迫っていた用事だけ終わらせて、外に出てみると・・・・


一見、何も変わらない外の様子、信号機も付いているし、車も走っている、窓ガラスが割れている様子もない、
ただ、大勢の人たちがビルから離れたところに立ち、中には職場の防災用のヘルメットを揃ってかぶり、
不安げに周りを見つめていました。


そうだ!、家だ! と 慌てて家に戻ると、そこでも近所の人たちが、総出で外にたたずんでいました。
家の周りをぐるりと見まわり、変化のないことに安堵してから、おそるおそる家に入ると、
数か所で、立ててあったものが倒れてはいたものの、ほとんど被害がない・・・・


それでもたびたび襲ってくる余震が怖く、また外に出ました。


家族の連絡はその前からたびたびしていたものの、電話はつながらず・・・・
それでもなんとか無事は確認できました。


夕方になり、早退となった娘が、保育園から3人の孫を連れて無事に帰宅、続けて主人も帰宅、
最後には、電車が止まって徒歩帰宅となった婿さんが到着。
我が家はほぼ都心に近い所にあるので、徒歩でも1時間も歩けば帰ることができるのです。
恐ろしい惨状を伝えるテレビをつけたまま、いつも通りの夕飯は食べられました。


その後、会社で足止めのあと、電車が止まり、会社から我が家まで歩いてきた、という姪が 突然来訪、
夕飯をふるまい、自転車を貸して帰宅の途に。
もう一人、主人の友人も同じように来訪、一息入れて食事を食べて、もう一台の自転車も貸しました。
幹線道路からなにから大渋滞だったこの日、歩道も歩く人でぎっしりでしたが、二人は無事に帰宅できました。


幸い、被害のなかった我が家でしたが、それから先の被災地の惨状を伝える報道は、日を追うごとに増し、
加えて原発地の人災、放射能の恐怖、いったいどれくらいの人が命を落とし、被害のなかった地も追われて
いるのだろうか、想像を絶する報道に、心が痛みました。


岩手の宮古市と山田町には親戚が二軒、幸い、両家とも怪我もなく、高齢の叔父や叔母もすぐに
自宅に戻れた様子、胸をなでおろしましたが、自分に何ができるのだろう?
落ち着かない日々を過ごし、多少物流が回復してきた5~6月ごろから、山田町の親戚に、
いろいろな物資を送り続けました。  一体、どのくらい役に立つのかわからないけれど、
とりあえず、余ったらほかに分けてもらえるかな、と考え考え、荷物を作り、ボランティアには行かれない代わりに、
微力ながら援助を続けました。


二年後、宮古や山田町を、訪れた時、その従兄弟に会い、「本当に助かりました」 と聞かされ、
少しでも自分が役に立ったことに安堵しました。


震災の記憶の風化、と報道されますが、家族も含めて、この日、なにがあったのか、
被害のなかった我が家ではあるけれど、その恐ろしさを決して忘れずに、
小さな子供たちにも伝え残していかなければいけないと思っています。

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トレッキング | URL | 2015.03.11 15:56 | Edit
3月11日
仕事中今まで経験した事のないドスンと大きな縦揺れと停電
社員が外に出たのを確認後、外に出たときは電柱電線がグラグラ揺れていました。
高崎は震度5強
停電で情報無し
道路の信号もすべて消え、夜にかけて大渋滞、真っ暗闇。
東北地方が震源地で大変な事になっているのが解ったのは翌日以降でしょうか。
ポータブルナビTVニュースで入ってくる津波で流される映像を見ながら深刻さに愕然とするばかりでした。
1ヶ月続いた計画停電で暖房もつかず風呂も火が入らず寒く流通が止まりスーパーもガソリンスタンドは売り切れ状態。車の燃料が無くなると地方の流通はストップします。
その間に受注したカセットコンロ、ボンベ、サバイバルシート、防災用品他、何万件もの発送業務に追われましたが途中からどうにもならなく成りました。
その後1ヶ月間、計画停電時刻を確認しながら1日3時間程度の電気供給に合わせて仕事、時間通りに停電になり何も出来ない日が続きました。

震災後4年経った今でも海に潜り奥さんや娘さんを探している人を見ると胸に熱い物がこみ上げて涙が止まりません。
海の中を探すことによって自分自身、心の平和を求めてるのだと思う。

震災で犠牲になった方々を心より追悼の意を表します。

3月11日、「3.11」と検索するだけで参加できます。本日、Yahoo!検索で「3.11」というキーワードで検索された方おひとりにつき10円が、Yahoo!検索から被災地の復興にたずさわる団体へ寄付されます。
検索して見ましょう。

震災について思うこと、たくさん有りすぎて何行有っても書き切れませんのでこの位にします。
yuko | URL | 2015.03.11 21:11
トレッキングさん、コメントありがとうございました。
被災地とは離れていても、二次的ともいえる停電、その後の計画停電、ガソリンが無くなれば
流通もストップ、そんな中で お仕事がら大変な数か月を過ごされたことでしょう。
それぞれの思い、記憶を忘れない、できることは積極的にすることが、私たちの役割かな、と
思っています。都会の便利さを享受しているうえに、計画停電の区域からもはずれ、
とりあえず不便な生活を経験しなかった私は、すくなからず後ろめたい気持ちを持ち続けています。

ヤフー検索、早速やってみました。情報をありがとうございました。

Layla | URL | 2015.03.13 10:16 | Edit
4年もたって、ようやく今年の夏東北の復興ツアーへ行く計画を立てています。
その前にふぃふぁさんの所で紹介されている
マルタ拓洋水産さんのカキを注文してみようかなぁ~。
yuko | URL | 2015.03.13 10:28
Laylaさん、いや、今頃になってでも、行くことはいいと思います。
震災後2年たってから、山田町に行ったときには、まるで廃墟のような町に涙し、
去年の5月に、陸前高田に行ってみて、まだまだなんだな、と本当に衝撃を受けました。
そしてその地に泊まって食べて、買って、少しでもお金を落としていく、興味本位でもいいと思う、
関心を持つ、ということは大切ですよね。
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jhety

Author:jhety
日光をこよなく愛する、アラ還です。
趣味は、山登り、スキー、カメラにピアノ(順不同)
東京と日光の二重生活も、早4年?
丁寧な生活が目標ながら、孫たちのパワーに
押されまくり、へとへとな毎日を送っています。

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