
久しぶりに訪れた足尾、 バイパス道路から望む「古河掛水倶楽部」
11月20日(金曜日)
先週は東京にいて、2週間ぶりとなった日光、
今朝は、あいにくの霧の立ち込める湖畔です。

予報では曇り・・・・だけど思ったよりずっと天気は良くないみたい。
出来たら、社山でも行きたいなと思っていたけれど、これでは・・・・・

でも、こんな天気で、本当はちょっとほっとしたのです・・・・・
先週は、東京で一つの訃報が届きました。
あまりにも突然のことで、茫然・・・・・
少し気持ちを落ち着けようと、いつもより一日早く日光に行くことにしました。
やみくもに歩いてみれば、いいかもしれないな、と用意はしてはみたものの、
あまり気持ちは前向きになれず・・・・・
取り合えず、行先は、久しぶりの 「足尾」 に決めました。
足尾地区は、以前、気に入って毎週のように通ったところ、一通り見て回ったので、
その後はしばらく遠ざかっていました。
足尾の町の手前で、バイパスに入り、まず、目に入ったのは、わたらせ溪谷鐵道でした。

ちょうど、パノラマカーの 「わっしー号」が走ってきたのに出くわしました。
この左側に、冒頭の写真の 「掛水倶楽部」 があります。
掛水、というのは、地名ですが、足尾銅山を経営していた 古河鉱山の迎賓館として建てられ、
今は公開されています。 和洋折衷の素晴らしい建物で、庭園もきれいなところです。

ここで渡良瀬川は大きく湾曲しています。
しばらく行くと、鉄橋の上から、足尾の町を遠望できる所にでました。

手前には 立派な小学校が見えます。
そして、正面にそびえる 「備前楯山」 が、銅の山、ここが銅山の舞台です。
備前楯山は、向かって左側の方から林道が延びていて、ちょうど裏側の舟石林道から
歩いて4~50分、簡単に登れます。
銅山の時代には、亜硫酸ガスの影響で、はげ山になっていましたが、植林が進んでいるのが見られます。
足尾の詳しい歴史はここでは書ききれませんが、江戸時代に発見され、昭和48年に閉山するまで、
長い歴史がありました。 最盛期の人口は4万人弱だったとか、ほとんど信じられないほどの賑わいだったことでしょう。
東照宮や江戸城、上野の寛永寺を始め、様々な建造物、さらには、寛永通宝から始まって、銅銭の材料となったのも、
ここ足尾の銅だそうです。 最盛期の明治後期~大正時代には、東洋一の産出量を誇っていました。
日本一の銅山と、公害の原点、足尾には、本物の歴史が凝縮されています。
いたるところで、使われなくなった建物や工場を見ることが出来ます。

左の建物は、変電所、川の左岸には、青のトタン屋根の社宅が並んでいます。
反対側の右岸沿いにも、社宅が並んでいました。
このような社宅は、昔は町中に立ち並んでいたようですが、今は一部が残るのみとなっているそうです。

私は実は、「廃墟好き」、とは言っても、大したことはないのですが、こういう「廃」には惹かれるものがあります。

先ほど見えた社宅のあたりに来てみました。 今も人は住んでいる様子が見られます。

社宅は長屋形式で、4戸~6戸がつながっているようです。

当時、社宅は、水道、トイレ、風呂場は共同、 さらに、電気代、水道代、家の補修、畳替えまで全部が会社もち、

社宅のそばには、集会所、道場、矢場、テニスコートからプールまでが備えられていて、
古河鉱山は、福利厚生にかなり力を入れていたのですね。
こんな山奥にあるものの、かなりの先進的な都会だったようです。

さっきの変電所の通りに戻ります。 すぐ脇には、わたらせ溪谷鐵道の線路と、廃工場。

もちろん、立ち入り禁止です。

廃工場ツアーでもやってくれないかなぁ。
線路の方に上がって行くと、ちょうど、電車がやってきました。

資料館に立ち寄ってみます。

谷あいの狭い場所に、たくさんの店舗がありました。
明治42年の人口は 26873人、大正時代になると、3万代を超え、大正5年には 38428人の記録も残されています。
栃木県内では、宇都宮に次ぐ大都会だったわけです。
ちなみに、現在の人口は2200人ほど、与那国島よりは多いです。
先ほどの写真に写っていた小学校、と 隣接する中学校、合わせて、児童生徒数は70人、
単純計算では各学年10人にも満たないようです。
おそらく、高齢化が進んでいるのでしょうね。
足尾地区から、山沿いに入った間藤(まとう)地区には、精錬所があり、ここには本山小学校というのがありました。
最盛期には、数千人の児童がいた、というので、驚かされます。 平成17年に閉校されました。

間藤の旧本山小学校、以前に訪れた時、立派な校舎に巨大な体育館もあって、圧倒されましたが、
閉校した学校、不気味な雰囲気で、とても1人では行かれません。
お昼も過ぎて、お腹もすいた~ 通洞駅ちかくの「さんしょう屋」でお昼ご飯を。

数年前、備前楯山に登った帰りに、ここでお昼を食べました。
名産の 山椒をたくさん使った 「から揚げ定食」が美味しかったので、今回も同じものを。

鶏肉も柔らかくて、山椒の香りが引き立ち、生野菜には、山椒ドレッシング。
手作りを売っていたので、迷わず購入しました。
腹ごなしに、ブラブラと街歩き、 きれいな花屋さんがあったけど、

全体的に、やはり寂しい街並み・・・・・・
寛永通宝をかたどった 「足字銭最中」、ガイドブックに出ていたので、買おうと立ち寄ったけど、閉まっています。
どうやら、ずっと閉まっている・・・ようで、表戸もたててありました。 残念。


「足尾駅」に寄ってみました。 このあたりは、無人駅も多くて、ここもそうです。

自由に構内に入れるので、写真を撮っていたら、・・・・・

どうやら桜のころが最高のようです。 溪谷鐡道に乗る時には、下りは右側に座ること、
線路は川の左岸に沿っているからだそうです。
そんなこんなで、また電車がやってきました。

天気は一日中曇りでしたが、幸い、ほとんど降られることもなく、意外に楽しく一日を過ごしました。
足尾は、精錬所のある本山地区も見ごたえ十分なので、またいつか行ってみたい所です。